■■スマトラ沖地震によるクラビでの津波被害について■■
by ゆかこさん (クラビタウン「さくら」経営者)

メールをありがとうございました。
そしてご連絡遅くなってしまい申し訳ありませんでした。
数日前にクラビ詰め大使館員も引き上げ一段落付いたようです。
幸いクラビタウンは無事でアオナンやライレイも数日後には復興しましたが
ピピ島のトンサイが壊滅的で日本の報道ではピピの映像をそのままクラビとして
放映されているようでご心配を多大にお掛けし申し訳ありませんでした。

心配されている2次災害ですが伝染病に関しては予防を怠らないようにはしてますが
この辺りではアチェやスリランカ程被害はないので普通のタイ的?衛生状態を保っているようですので
日本で放映されているようなご旅行には差し支えないと思われます。

さて今回のことを文章にしてミクシィというブログ日記にて発表しているのですが
登録制でもありますので長い文章ですがこのメールにてご一読お願い申し上げます。

 
津波を見た人々その1

記憶が薄れないうちに
気持ちの整理をつけるためにも今回の津波に遭遇した人々の話や自分の行動を書き留めておこうと思う。

最初に津波を知ったのは隣のインターネット屋の姉さんからだった。
それまでにNHKで朝インドネシアのアチェで巨大地震が起こったのは知っていたがその姉さん曰くパトン、ピピ、アオナンに津波がやってきた。
2時間後にタウンも来るらしいから電気は停めて2階に移動させたほうが良いと聞く。
とっさにここ1ヶ月内に見た津波特集のテレビを思い出す。あのときは確か近くのタイホテルへ避難すればいいか・・・と漠然と考えていたが現実におこりつつあることで愕然とする。
とりあえず簡単な非常食料を2階に上げておき現金パスポートなどお大事物のみ腰に巻いておく。
幸いなことにタウンでは何も起こらなかった。

津波後まず最初に店を訪れたカップルはクラビからランタ行きのボートに乗っているときに津波に遭遇したらしい。
気丈な彼は沖に見える津波をカメラで撮っていて見せてくれた。
ボート内は皆ライフジャケットを着るように注意があり大波を乗り越えたあとはボートがスットンと落ちたような衝撃だったらしいが皆無事だったらしくそのままクラビへ引き返してきたらしい。彼はのちも掲示板などに自分の体験や帰りの空港の様子などレポートしていたようだ。天晴れ。

昼すぎにクラビ病院より水着にライフジャケットを着ただけのカップルがバイクタクシーに乗ってやってきた。
聞けばピピ島のレムトンビーチのホリディインに宿泊中で朝ロングテールボートをチャーターしてバンブー島に向かう途中津波の為ボートが転覆しボートもボートマンも行方知れずライフジャケットを着ていたためすぐ板切れなどにつかまり漂流していたのを救助ボートに拾われたそうな。彼は頭に切り傷があったのでクラビ病院に運び込まれたが他にも重症患者が大勢いて病院内パニックだったそうで軽症でいるのも申し訳ないと病院を飛び出して来たらしく二人とも興奮した様子だった。
彼女は最初大変怯えていたが段々落ち着き彼らはパッケージツアーで来ていたのでネットで自分達が申し込んだツアー会社を探し出し今後のことを電話で相談していた。かなり待ち時間が長く気の毒ではあったが夜にクラビの係員が迎えに来てくれた。
のちメールを頂いたがその日はとりあえずの下着や服を揃えてもらいクラビで1泊したのちプーケットでホテルに置いてあった荷物全部受け取れたらしい。
(ホリディインは殆ど被害がなかったそうだ)

26日は津波後すぐアオナンやピピ・ランタ在住の友人達に電話で安否確認しまくりの1日で電話がなかなか通じなかったが夜にやっと繋がり無事を確認してホっとした。
殆どピピやランタの山の上に避難中であった。

クラビケーブルテレビではノッパラッタラビーチでの津波のビデオやクラビ病院やクラビの桟橋などの映像を始終流していた。
その中のクラビ病院内のホワイトボードに日本人名を見つけたのが気になり夜11時になっていたがまず小学校の避難所へ行ってみた。が日本人はいず近くのホテルに泊まっていると聞きそのホテルで名簿を見せてもらい電話をしたらジャーナリストであった。やれやれ・・・
それからクラビ病院へ行ったのだが日本人はすでに他の病院へ転送されたようで誰もいなかった。
が、ここで初めてバンコクより駆けつけた大使館員の人々にお会いし今に至るまで情報交換しあっている。

この日は自分がピピに宿をとった(トンサイとロングビーチ)お客さん達の安否も分からず悶々とした1日でもあった。

津波を見た人々その2

翌日も朝から電話攻勢であった。
昨日は津波後真っ先に電話をしたのがアオナン在住妊婦さんでご主人がロングテールボートマンだったので不安になり電話したのだが彼女は津波があった事実も知らずそれからすぐ近所の人達と非難したらしいが電話が通じずご主人の安否も気になっていたけれど夫婦揃って店にきてくれて安堵した。
聞けば彼はライレイウエストビーチの西のトンサイビーチ辺りで津波を察しすぐボートを乗り捨て山の方へ逃げ出して助かったらしいが友人のボートマンを大勢亡くしたそうだ。奥さんはショックが大きく高熱を発していたので病院へ連れていかれた。

昼前にクラビ病院で通訳のボランティアをしていたタイの友人より電話があり大変ショックを受けている日本人が病院にいるのですぐ来てくれと言われ急いで駆けつけた。
ロビーでうなだれている男女カップルを見つけた。二人とも気が動転していてあちこちに擦り傷を作っている。聞けば彼らはピピより同じヘリコプターに乗り合わせてそれぞれの家族の安否を探していた。特に重症でもないようなのでごった返す病院よりもまずひとまず店へ来てもらうことにした。が車がなかなか捕まらず私は女性と共に表通りに出てタウンへ行くソンテウに乗り込んだ。
彼女に事情を聞いてみる。カバナホテルのロビーでご主人と小さい娘さんと共にチェックインしてる最中に津波が襲ってきたらしい。彼女は流されながらも無我夢中で水を掻き分け水面に出て物につかまっているところでボートに助けられたそうだ。しかしそのボートはプーケットへ行くということで彼女はご主人と娘さんを探す為にピピへ戻るボートを探しては乗り換え探しては乗り換えしたようだ。
ピピのトンサイでは見るに無残な死体が累々していたらしいが彼女は気丈にも一人ずつ確かめていったらしい。結局見つからずその夜は他の人々と共にピピの山の上で眠れぬ夜を過ごし翌日ヘリでクラビ病院へ送られたのであった。ソンテウの中ですすり泣く彼女に掛ける言葉もなくただ身体をさすってあげるのが精一杯であった。彼女は体中擦り傷だらけで数箇所は何針か縫っているらしい。しかし心の傷の方が大きく痛みを感じていないようなのが見てて痛々しい。

店に戻ってみると大使館の人達が来ておられ一緒に来た彼女と男性(彼もやはりカバナホテルの部屋内より流されて一緒に居た奥さんの行方が分からなかったのであった)は大使館員にひとまずお任せした。

それに私がピピでホテルを取った2組のお客さん達それぞれ全員無傷で荷物も無事で戻ってきておられた。ホッと胸をなでおろす。

1組はピピバンヤンビラ泊でトンサイ中心地でもある。しかし彼らはその時バンブー島近くをシュノーケル中で大波にもあまり気付かず(バンブーはピピの陰になっていたようだ)ボートでトンサイに戻って初めて事態を悟ったらしい。幸い一番奥の部屋でかろうじて荷物も無事でそのままピピの山の上で一晩過ごしたらしく顔には焦燥が漂っていた。

もう一組はロングビーチの一番南の丘の上のバンガローだったのでそこは大丈夫だろうと思っていたのだが当時彼らはモンキービーチで泳いでいたらしい。まず潮がかなり引いた時点で何かおかしいと思ってるうちに第一波がやってきてすぐ皆と共に崖の岩の上によじ登ったらしい。それより強い第二波がやってきたときはもう少し高台へよじ登りかろうじて無事だったらしいがもう数十センチ波が高かったら多分流されていただろうとのこと。

話を聞いて彼らの宿手配をしているうちに大使館の方もプーケットより情報があり病院より連れてきた彼女のご主人と娘さんはプーケットへ-無事にたどりついていたらしくホッとする。しかし男性の奥さんについてはまだ消息がわからずひとまず大使館の人と共に外国人避難所になっているマリタイムホテルへと移動し彼女のほうは用意した車でプーケットへと出発していった。本当に良かった。

そうこうしているうちにランタ島ビービーバンガローから引き上げて来た人もいた。
被害はビーチフロントのバンガロー3軒で他の人達はそのまま山へ避難したが彼らは車があったのでタウンへ引き上げてきた。
そのうちの一人のパッカー女性はクリスマス前に店へ訪れておりその後のピピとランタを廻るスケジュールの相談を受けた時クリスマス直前のピピは宿が取りにくいので先にピピへ行ってからクリスマスはランタがいいよと私が勧めたらしい(覚えていないのです)おかげで命拾いをしたと喜ばれたが反対にクリスマスをピピですごす手助けを他にもしていなかったかと記憶を探る。ボートチケットを売ったかもしれない!その場合は名前を何も聞かずにチケットだけ売るので控えがない!と愕然とするが日がたつにつれクリスマス前後は何故か今年は客が少なく売っていなかった事実がわかり胸をなでおろす。

この日は津波が起きたのを知らずにクラビ到着後予約していたピピ島へは行けず急遽サムイ島へ変更したり仕方なくタウン泊の旅行者も多く変更手配や安否確認の電話などあたふた状態であった。
その間店内は津波の被災者や普通のツーリストも混じり混沌としたカオスの世界であった。

夜9時ごろだったであろうか。ランタより生還の3人や店スタッフと過ごしているとクロンムアンビーチに宿泊中(クロンムアンのホテルはビーチフロントのプールなどがやられただけで余り被害はなかったらしい)のお客より電話が入り警察より津波警報が出たので客全員ロビーに集められ高台に非難してる最中であると聞く。
あわてて近所のタイ人に聞くが総じてのんびりムードで一人慌てふためいている自分が滑稽でもある。大使館員に聞いてみるとそういう情報は受けていないとのことでとりあえずその夜はいつでも逃げ出せる態勢で寝床に付く。(翌日その情報はガセネタであることが判明・・・というよりも大きい余震はあったが津波を引き起こさないと判断されたようだ)

津波を見た人々その3

28日以降は日時の記憶が曖昧である。
多分この日の午前中だったと思うが最初の津波を教えてくれたインターネット屋の姉さんがやってきてクラビ病院の津波被害者のご遺体写真リストのウェブサイトが開いたという。その中に日本人もいるような口ぶりであったので早速チェックしてみる。
その時の思い当たる行方不明者は昨日クラビ病院から店へ来てもらったカバナにいた奥さんとうちの直接のお客さんではないがピピプリンセスに宿泊して津波が来たときに家族でバンガローに閉じこもってしまい結局流されてしまった小さい娘さんが行方不明になっていると聞き二人の服装を聞きだし1体ずつチェックしていった。
普段からタイは死体に関しては写真も開けっぴろげなので日本在住の方々よりは死体を見慣れているだろうと自負しているものの人間の死体は数日たつと人相もなにもかも変わってしまう。日本の報道では絶対見られないものである。(たまにフライデーで見られるが)アジア人もヨーロッパ人も区別がつかない。すでに身体はガスが充満し膨れつつある状態だった。子供や赤ん坊の遺体も多く痛々しい。もし自分の子供であったら・・と怖くなってしまう。身元確認は服装や持ち物や刺青などで確認できるが人相では判別できない。その中でもしや行方不明の奥さん?と思われる服装を見つけ間違いであって欲しいと祈りながらすぐ大使館員に連らくする。娘さんらしい服装はそのときは見つからなかったが後日ご家族により遺体が確認されたと聞いた。合掌
のちすぐ行方不明者のご主人の同僚が数人来られて遺体安置所のチェックや運び込まれる可能性のある病院など虱潰しに探しておられた。

昼頃にはピピ・ランタの山の上で二晩過ごした人々がまた引き上げてきた。

ランタから引き上げてこられたご夫婦は津波時は丁度ビーチと反対側のタウンへ買い物に出かけており異常な雰囲気にバンガローに戻ってみるとビーチフロントの建物はたくさん壊れていたそうだ。しかし荷物は無事だったのでそのまま山の上で野宿1泊、翌日はランタの一般民家でスウェーデン人と共に一泊したそうだ。

ピピから引き上げて来られたロングビーチ専門リピーターの方々は津波時はたまたまロングビーチの裏のロームディビーチに出かけており潮が引いた時点でおかしいと思い裏山に駆け上がって無事だったそうだ。一瞬の判断が間違っていれば命は無かったらしい。のちはロングビーチ側の山の上で野宿2泊され疲れきった様子であった。

ピピ・ランタから引き上げて来た人々もクラビ発まで数日ある場合はリフレッシュも兼ねて象乗りや温泉などのツアーに参加する人や翌日29日にはアオナン沖シュノーケルツアー(4島ツアー)が再開されると聞き申し込む人もいた。(さすがに津波を見ていない人ですが)
この日も引揚者同士の体験談交換や行方不明者の捜索グループ、津波後にやってきた一般ツーリストなどカオスな1日であった。

津波を見た人々その4

津波後数日たってからかつてクラビのダイブショップで出会いのちに世界各国ちらばっていったダイバー友達の消息が伝わってきた。

うちの一人は昨年12月上旬よりモルディブの有名ホテルのダイブショップに赴任していった。その島はかなり打撃を受けたと聞いて心配していたがかなり早い段階で無事であるとの報告を友人を通して聞いていた。がマメにメールを返してくる彼からの返事が来ず他の友人もメールの返事が返ってこないと聞きあせっていたが実家に電話したらやはり無事であることが分かり胸をなでおろす。彼はタイではクラビ拠点に動いているので荷物を預かっているのだった。

もう一人かつてアオナンのショップで働いていた子はなんとバンダアチェのすぐそばのプラウウェ(ウェ島)のショップで働いていたらしく友人が無事確認の載っている新聞を見せてくれた。すると彼から正月過ぎに電話がかかってきてそのときの様子を話してくれた。当時丘の上のバンガローで寝ていたらしく最初すごい地震で飛び起きたそうだが昨晩の疲れもあり2度寝を決め込んだとき津波が来たようだ。幸いバンガローは無事だったようだが働いていたショップは流されたらしい。救助の船かエアでメダンへ避難したそうだが彼は道中幸いにも凄惨な現場は見ずに戻って来られたという。しかしその島よりボートで脱出した同僚の話では多分アチェ辺りのことだろうと思うが屋根や木の上など至るところに死体累々で地獄絵図のようだったらしい。
彼は既にクアラルンプールまで北上しておりクラビで何かボランティアはないかという問い合わせだった。その時点では既にクラビの日本人ボランティアも解散していたのでもっと被害のひどいカオラックやプーケットで探してるかもしれないよと教える。

先ほど電話がかかってきたダイバーの女の子は今夜帰国するらしい。
彼女とは今まで連絡無かったが人づてにケガをして入院していたと聞いた。
本人から話を聞くと当日はローダラムビーチにいたらしく実際波が来るのを見たわけではないが人々が騒ぎ出しおかしいと思い山に向かって走ったが途中こけてしまいそのまま波に運ばれてしまったらしい。頭がパックリと切れ肘や膝なども傷を作ったらしいがケガの為にずっと横になっておりピピの惨状は見なかったらしい。
そして26日の最終便でプーケットの病院に担ぎ込まれたそうな。
帰国後心の傷も早く回復できるように祈ってます。

当時海に潜っていたダイバー達は殆ど無事らしい。
中には地形によって洗濯機の中に放り込まれたような状態になったりすごい潮の勢いで流されたりしたようだが陸より海の中の方が安全だったらしく津波後ピピに戻って惨状に驚いた人もかなりいたらしい。トンサイ在住のダイバー達はことごとく荷物をさらわれ身一つになってしまった者が多いと聞いた。

彼らが(私もだが)また安全に楽しくダイビングできるような時が来ることを願っている。

津波を見た人々その5

今日はピピ島在住が一番長かった有名な?女性ダイバーが店まで来てくれた。
当時彼女はピピ島近くのビダ島で潜っていたという。
水中の岩からホコリみたいな塵が出ておかしいと思うまもなく強い潮流に巻き込まれたらしく水深の深いところも砂が舞い上がり珊瑚のかけらが転がって行ったそうでこれはただ事ではないとすぐ全員浮上したそうだ。そのままトンサイに上陸しまずダイブショップのある場所まで累々とした死体を避けながらたどりつきセーフティボックスを探したが既に流されていたらしい。
ショップのあたりはロダラムビーチから来た大波の為に流された地元ビレッジの家屋の板切れで埋まり店内にも見知らぬ遺体が多数流れ込んでいたそうだ。流されていない建物の上に避難しているスタッフや生徒さん達と合流しお互いの無事を確かめてその日の夜最終便でプーケットへと渡りボートに乗り合わせた知り合いのタイ人に一晩お世話になりお金まで貸してくれたそうな。(トンサイ中心地にあった彼女の家は跡形も無く流されまさに身一つの生還だ)
彼女にプーケットでの大使館の対応について話を聞いた。パスポートも何もかも失くしてしまった彼女はとりあえず仮のパスポート申請に902バーツ請求されたらしい。大使館曰く6,000バーツのみ貸付けOKと言われたがそれっぽちでは日本へ帰るエアチケットも買えない上にパスポートの902バーツの「2バーツって何?」と聞けばコピー代だと言われあきれかえって何も言えなかったそうだ。
他にもトンサイでケガをしたダイバーがクラビ病院ではきちんとした手当てが望めない為にバンコクの病院へ移ったものの1泊5,000バーツ請求され大使館が間に入ってようやく2,000バーツになったという。それでもそれは彼女が全額支払わなくてはならないのだろうか。
日本政府は何億かの資金援助ができるくせに自国民の被害については自己負担というのは腑に落ちない。確かスリランカで被災された方の手記にも同じような対応があったように思う。

彼女は2,3日後に再びピピ島へ上陸し跡形も無くなった自宅を訪れたが掘り返す気力もなく身一つになってしまったことで返ってスッキリしたと気丈な彼女は言う。一方タイ人達は死体から貴金属を奪ったり壊れた家の金庫を荒らしたりと火事場泥棒も多かったと聞く。
タイ人も日本人もどっちもどっちである。

日記番外編  2004/12/27
皆様お見舞いメールありがとうございます。
幸いタウンには全然水が来なかったのですが 情報が右往左往しており タウンにも昼3時に大津波が来るという情報もあり お大事物とオムツを腰に巻き非常食料を2回に上げたりしてましたが無事でした。
アオナンはビーチフロント辺りの店は波が襲ったようですが内側ホテルなど無事だったようです。 但しロングテールボートがほぼ壊滅状態だとか・・・ ランタ島も水が押しよせたようですが知り合い日本人バンガローはダメージを受けているものの本人らは無事でした。
ジャム島やヤオ島など全て水をかぶったとか。
一応友人日本人全て連絡がつき無事でした。 但しピピ島では行方不明者多数のようです。 プーケットやクラビからの1日ツアーが丁度シュノーケルする時間帯でもあったようなのでかなりの人が波にさらわれてしまっているとか・・・ さっき日本人負傷者が運ばれていないかとごった返すクラビ病院を訪ねてきましたが今のところ入院患者はなしでした。 日本大使館の方が駆けつけてきておられこれから一軒一軒宿を日本人宿泊者がいなかったかしらみつぶしにチェックするそうです。頭が下がります。
昔バイクをレンタルしたカップルが大事故を起こし彼女の方が成功率半々という手術を受けている間ずっと祈っていた叫びが再び身体の底からわきつつある状態。 神様どうか人々をお助け下さい!!
2004/12/31
ピピ島の悲惨さに比べアオナンは驚くべき速さで復興を遂げています。 泥をかぶったビーチフロント沿いは既に綺麗になりレストランもショップも殆ど通常営業に戻っているようです。
ライレイでも壊れた建材の修復中の中でクライミングが始まっています。
さらに驚くべき事には26日の津波後28日にはアオナンの近場へのアイランドホッピングが再開されました。 30人近くの参加者だったようです。 余震も怖いしシュノーケルしてたらプカプカ死体浮いてるかもしれないよとツーリストに脅かしたものの 実際津波を体験していない彼らは行きたがり それでもやはり不安になり夜ホテルに考えるよう電話したのですが電話が通じず、でも結局無事に終わりそれなりに楽しんでいたようです。 彼らの話しではシュノーケルポイントで遺体捜索船が数船停泊しておりシュノーケルはできなかったそうです。 現在のところ私は遺体安置所へは出向いていませんがかなり遺体の腐敗が激しいようなのでWHOより衛生面警告が出ているようです。
聞いた話しではシーフードも食べてはいけないようです。 ・・・ということは海にも入っちゃいけないということになりますよね商売上悲しいお知らせですが・・・
ある人が言っていました。 ピピの長老に以前聞いた話しだそうですが ピピは欲にまみれてしまったのでこの10年のうちに水に関する事故が起こり島が二つに分かれてしまうだろうと。 津波後しばらくトンサイ中心地に川が出来て確かにピピは分断されていました。 地震の前触れについても色んな人から話しを聞きます。 ここ3週間前ぐらいから満月が近づくのに潮が満ちて来なくなったとか当日の朝に鳥の鳴き声がおかしかったとかダイバーによると海の色がなんかおかしかったとか。
ここ数年来ときどき津波の来る夢を見て汗びっしょりで飛び起き前世の記憶だろうと思っていたのが現実となった友人の話しには背筋が寒くなりました。 その友人は実際命からがら山を這い登って逃げたのでした。
私も1ヶ月ぐらい前だったかどうかたまたま夜中に津波特集のテレビをやっていて普段そんな時間にお父さんと二人でテレビを見ていることは少なく見終わって二人でもしここに津波が来たらどこに逃げる?やっぱりタイホテルかなあなんて話しをしていたのでした。 生死は本当に紙一重です。 今生かされているのはまだまだ世の中の役に立たたんかいという思し召しなんでしょうね。
 2005/1/02
新しい年が明けました。
年末年始は店内では一方は行方不明者を探す身内の方々 もう一方は被災はどうだろうという思いのままキャンセルできずに訪れたツーリスト達という混沌としたカオスに包まれた雰囲気でございました。
昨夜の大晦日のカウントダウン前に久々にバイクでタウン一周してみてきたところによると欧米人ツーリストは通常の約半分 恒例の移動遊園地付き特別バザールも人通りはあるもののいつもの混み具合には程遠く何より静けさを感じたのはいつも大音量で鳴っているステージでの催しが一切なかったことでした。
毎年店では日本時間のカウントダウンそして2時間後のタイ時間のカウントダウンを行います。 こういう状況の中でも変わらずに毎年来てくれている常連さんたち数人と不謹慎ではありますがリフレッシュの為にも酒を酌み交わしたのでありました。ここ数日のささくれ立った神経がかなり癒されました。
明けて元旦。 本日お一人身元確認がなされました。 その方は私自身がクラビでの身元不明者遺体写真リストから真っ先に見つけ出し連絡した方なのです。 お身内の方や今まで捜索に奔走なさってらしたご友人の方々が最後に報告と挨拶に来られました。 早い発見が出来ただけでもと感謝して頂きましたが もう何ともかける言葉のなさにただただ立ち尽くすのみでした。 心からのご冥福をお祈りしますと共に ご家族の方の御傷心お察しし一日も早く立ち直っていただきたいと願ってやみません。 そのご主人がおっしゃってました。 「ひとつずつ・・・ひとつずつ・・・」と 日にち薬が一日も早く効いてくれますように・・・
 2005/1/03
まだまだ日記は津波関係が続いてしまいます。
色々不思議な話しを耳にする中で今日は虫の話しを聞きました。 ピピでは津波が起こる1ヶ月ぐらい前からゲジゲジやムカデ、蟻などが地中からたくさん這い出していたようです。 それに人間の死体は多数発見されているのにピピ島で数多くいた猫達の死骸が1匹も見かけないとは! 今日も新聞にカオラックの浜辺の象さん達が津波前に異常な泣き声をあげて丘の上に突進していったとか。 そういや数日前にもスリランカの野生動物公園?では動物の死骸が1匹も見当たらないらしいです。
人間も同様で虫の知らせを感じたという人がたくさんいます。その人たちの機転で多くの人々が助けられてもいます。 不思議が不思議ではなく当たり前と感じられる物質社会のみにとらわれないスピリチュアルな世の中になるといいのですが・・・
 2005/1/06
ぴぴさん日記にもありましたがタイ政府の上部が観光業に影響出さないために津波警報を出さなかったなんて完全に人災やないですか!
それにクラビにも援助物資が送られてきていて一昨日ご遺体安置所である中国寺の前を通ったら門前のテントの端にまるでデパートのワゴンのように援助物資で来たであろう洋服が山積みされており数人のタイ人があさっておりました。
今日聞いた話ではヘリコプター発着所の辺りでは援助物資の服のダンボールがたくさんありすぎるので周りの住人が持って行ってるとのことでホンマにあきれかえることばかりです。 タイの被災地は回りが豊かなんだし援助物資の必要なし! それなら何故もっと被害の多きかったインドやスリランカやインドネシアに送ってあげないのか! きっと多くの人々の義援金もきっと下の被災された人々まで行き届かないこと絶対です。 なのでボランティアやってらしたお隣のトラン県在住おぢさんはその事実を見てきているので独自で基金を作って政府を通さないように直接学校や孤児になった子達に渡せるようなネットワークを作るそうです。
タイの現在のタークシン首相の方針は金持ちに利益を与えるようになっているので今後のタイがますます心配です。 なんか最近の日記いっつもネガティブやなあ。 早く明るい話題が提供できるようになりたいもんだ。
 2005/1/08
タウンもだいぶ落ち着いて来ましたが今でも時々ヘリコプターは飛んでいます。
心配していた中国寺のご遺体も昨日にはコンテナに収容されたようです。 ただ今日バイクで横を通った人の話によると以前は中国寺の門前にいると風向きによっては腐臭がしていたそうですが今日は辺り一面臭うということなので今の時期の乾季の風向きが変わらないように祈ってます。
少しずつですが普通?のツーリストも来られています。 皆に反対されてとか内緒で来たとか言ってらっしゃいましたが皆さんクラビが好きで来られてるのは嬉しいことですね。
未だに心配なのはやはり感染症です。 空気感染はないと知りつつやはり中国寺からの風向きも気になるし(バイクで7分ぐらいの距離なんです)感染症者が出たとしても政府が発表せずにもみ消してしまうことは十分考えられるので自己防衛のみとなります。 今のところ消毒液はO-157も撃退できるという天然カルシウムを使っています。 しかし今までの習慣というのは中々覆せないもんで長女は裸足のままご近所へ遊びに行ったりお父さんさえ店内でも裸足だったり・・・あ〜あという状況です。
回りは落ち着いてきましたが実を言いますと津波の日以来夜一人でいるのが大変怖くて娘達の間に埋まって寝ています。 起こってまなしの夜なぞ1階の店で夜中過ぎまで一人でPCいじってたのですが何の気なしに急に恐ろしさがこみ上げ顔も洗わず歯も磨かずで皆が寝ている2階に駆け上がってしまいました。 でもどうしてもトイレが我慢できなくなり・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ *告白(そっと子供用のオマルで用を足してしまいました)
 2005/1/09
今回の津波依頼「死」をすごく身近に感じている。 死ぬ瞬間自分は何を考えるのだろう。 激痛が先だろうか。 走馬灯のように自分の一生を振り返って見るという話もある。
26日の時点では10万人以上の人々が一瞬にして命を失ってしまった。 その中に自分の死を覚悟して向かえた人は一体何人いるのか。 殆どの人は自分が死んでしまったということさえ自覚していないのではないだろうか。
それこそ26日の夜などは10万人以上の人々の魂が世界中彷徨っていたことだろう。 その辺の不思議な話はまた改めて書くことにします。
以前も書いたが本当に生死は紙一重である。 いつか必ずやってくる死に対していつお迎えが来ても悔いのない様な生き様にしたいと思い始めている今日この頃です。

大変重い内容で恐縮ですが報道には載らない真実として知って頂ければ幸いです。

 
 























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